HISTORY OF PUMA / PUMA(プーマ)の歴史

1924年、ルドルフとアドルフのダスラー兄弟が、『ゲブルーダー・ダスラー・シューファブリック社(ダスラー兄弟靴工場)』をヘルツォーゲンアウラッハ(ドイツ)に設立しました。

1948年、ルドルフ・ダスラーが現在のPUMAとなるPUMAシューファブリック・ルドルフ・ダスラー社を設立し、1948年10月1日に正式に法人として認可されました。この時、『ゲブルーダー・ダスラー・シューファブリック社』の事業資産は、2人の兄弟間で配分されることになりました。同じ年、PUMA初のサッカースパイクである『ATOM(アトム)』を発表。

1952年、PUMA設立後まもなく、ルドルフ・ダスラーはゼップ・ヘルベルガーと共に、スタッド取り替え型スパイクの開発に成功。1952年にダスラーが生み出した世界初のスタッド取り替え型スパイク『SUPER ATOM(スーパーアトム)』の登場は、以後長きに渡るPUMAとサッカーの華やかなパートナーシップの始まりとなりました。

1953年、スタッド取り替え型スパイク『SUPER ATOM』の後継モデルとして、機能拡張された『BRASIL(ブラジル)』が開発されテスト導入されます。

1958年、PUMAは自社のトレードマークと有名なPUMAフォーム・ストライプを導入。同年、PUMAのスパイクは、スウェーデンで開催されたワールドカップ決勝で着用された唯一のドイツ製スパイクとなりました。

1960年、PUMAは技術的に進歩した加硫製造テクノロジーを導入した初めてのスポーツシューズメーカーとなり、この技術によりシューズのソールとシャフトが結合されるようになりました。このような新しいアイデアがPUMAアスリート達の限界をサポートし、1964年に開催された東京オリンピックにおいてエチオピアのアべべ・ビキラ(マラソン)らが、PUMAシューズを身に付け金メダルを獲得しました。

1962年、ペレ(ブラジル)がPUMAスパイクを着用しチリで開催されたワールドカップを制覇、同時に大会ベストプレーヤーに輝きました。

1966年、イングランドで開催されたワールドカップにおいて、当時ニューモデルとして発売された伝説のサッカースパイク『PUMA KING』をポルトガルのエースであったエウゼビオが身に付け、大会得点王&ベストプレーヤーに輝きました。

1968年、ランニングシューズ『MEXICO1968』をリリース。わずか4mmしかないロング・ブリストルをシューズ先端に施したEXICO1968』は、その革新的なブラッシュ・ソールで話題を独占しました。

1970年、メキシコワールドカップにおいてペレが『PUMA KING』を着用しワールドカップタイトルと共に2度目のMVPに輝きました。

1974年、ワールドカップ・ドイツ大会でMVPに輝いたヨハン・クライフはPUMAスパイクを身に付けてプレイし、『バロンドール(欧州年間最優秀サッカー選手賞)』を2年連続で受賞しました。当時、オランダ代表はアディダスによるスリー・ストライプスを付けたオレンジジャージを採用していましたが、チーム・キャプテンであるクライフはPUMAのサポート選手であると同時にPUMAブランドに愛着を持っていたため、PUMA以外のジャージを着てプレイすることを拒否しました。結果、クライフのためにツー・ストライプスの特別ジャージを着用してプレーすることになります。

1986年、PUMAは株式公開に踏み切ります。同年、サッカー界では、ある1人の選手がヘッドラインを賑わせていました。1982年のワールドカップ・スペイン大会では、PUMAのスパイクを着用しプレイしたディエゴ・マラドーナは、1986年のワールドカップ・メキシコ大会では、『5人抜き』や『神の手』ゴールによりその名を歴史に刻み、ワールドカップ制覇の栄冠を手にしました。

1990年、『PUMA KING』を愛用していたローター・マテウスが、ワールドカップ・イタリア大会で母国ドイツを見事優勝に導き、同時に『バロンドール(欧州年間最優秀サッカー選手賞)』『FIFA年間最優秀選手賞』『ワールド・アスリート』『ARD年間トップ・ゴール・スコアラー』の栄誉にも輝きました。

1993年、ヨッヘン・ザイツは弱冠30歳にしてPUMAの会長兼最高経営責任者に任命されドイツ史上最も若い民間会社の会長が誕生しました。当時財政難に苦しんでいたPUMAの再建を最大の任務とし、低価格路線を取っていた当時のPUMAブランドを高級スポーツライフスタイル企業に生まれ変わらせることに成功。PUMAをスポーツ用品部門においてトップ3の地位に押し上げました。

1996年、アトランタオリンピックにおいて、PUMAはクリスティの黒目部分に白色のPUMAロゴが映った写真を制作するといった革新的なコンタクトレンズ・キャンペーンを行い、スポーツ業界にとどまらず広告業界などのその他の分野で注目を集めます。

1998年、スポーツブランドとしては史上初めて、PUMAはスポーツとファッションを融合させ、ファッションデザイナーであるジル・サンダーと提携を結びました。その結果として『KING』とランニングシューズ『Easy Rider』が発売され、理想のファッションシューズとして注目を集めました。この2つのシューズは、PUMA製品が持つ信頼性と高いパフォーマンスを維持したまま、ジル・サンダーのデザインの特徴である最先端のスタイルを備え、高い機能性とファッションセンスが理想的に融合されたアイテムとなりました。

1999年、『PUMA Mostro』を発表。革新的なコンセプトを持ったこのシューズは、スポーツとライフスタイルを見事に融合させ、過去数十年において最も大きなトレンドを生み出すことになりました。Mostroが持つヴェルクロファスナーとスパイクソロは、1968年に発表された『SprintSpike』と80年代に発表されたサーフィン・シューズに由来します。その結果、全く新しい、他に類を見ないライフスタイル・シューズが完成しました。このモデルは、マドンナなどのファッションセレブによってその存在がクローズアップされ、2002年、マドンナは自信のツアーを『PUMA Mostro』を身に付けて行い、世界中で『PUMA Mostro』ブームを巻き起こしました。

2001年、PUMAはモーターレーシングの世界に参入。この経緯を背景に、スポーツライフスタイルにおいて革新的な製品『PUMA Speedcat』が誕生します。『PUMA Speedcat』は、1998年にF1ドライバーのための耐火シューズとしてデザインされました。革新的でエレガントなローカット・モデルとつま先に描かれたPUMAロゴのおかげで、このモデルはすぐさまファッション業界でも注目を集めます。大勢の愛用者がいる中、2002年にはある有名フランス人ファッションデザイナーが、赤と白のSpeedcatを愛用するほどでした。

2007年、フランス高級品ブランドPPRが、PUMA株の60%以上を取得。

2008年、PUMAアスリートのウサイン・ボルトが100m走、200m走にて世界記録を樹立。ジャマイカチームとしても400mリレーの世界記録を樹立。

2009年、PUMAアスリートのウサイン・ボルトが100m走、200m走にて自身の記録を塗り替え世界記録を樹立。

現在、PUMAは、スポーツからファッションまで幅広い分野を手掛けています。スポーツ・パフォーマンスとライフスタイル・ブランドとしては、サッカー、陸上競技、モータースポーツ、ゴルフ、そしてセイリングを網羅しています。ブラック・レーベル・ブランドとしては、Alexander McQueen(アレキサンダー・マックイーン)、Yasuhiro Mihara(ミハラヤスヒロ)、そしてSergio Rossi(セルジオ・ロッシ)などの著名デザイナーとのコラボレーション作品を生み出しています。

 

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