FRED PERRY(フレッドペリー)のヒストリー 1940年代後半 - 当時あまり優れていたとは言えなかったスウェットバンド(リストバンド)の開発を、彼の愛称“FRED PERRY”の名を入れてスタートさせた。努力のかいあって、そのスウェットバンドは軽く柔らかくしなやかな商品として開発することができた。テニスのトッププレイヤーたちが使用し、フレッドペリースポーツウェアが事業として開始されることになった。 1952年 - 英国ロンドンでフレッドペリースポーツウェア社を設立させ、ローレルマークを付けたホワイトポロシャツの製造を開始。その後、マーケットのニーズに合わせ様々なカラーリングのポロシャツを製造。 1960年代 - “モッズ”と呼ばれていた英国の若者文化はファッション・カルチャーの最先端であり、その動向は世界中の若者に大きく影響を与えていた。ブーツにジーンズ、細身の三つ釦スーツやジャケットをはおり、インナーにフレッドペリーシャツをトップボタンまで締めて着る、というスタイルが彼らの間で流行した。 1970年 - はじめてフレッドペリーが日本に上陸。 1976年 - フレッドペリージャパンオープンとして国際テニス大会を開催するなど、テニスブランドとして確固たる地位を築いた。 1980年代から1990年代前半 - 若者を中心に、月桂樹のワンポイントの半袖ポロシャツが何度かブームとなる。 1990年代 - スポーツカジュアルウェアとして、テニスだけでなくトータルスポーツファッションを目指す。 1999年にロンドン・コベントガーデン、2000年にマンチェスターにフレッドペリーショップがオープンする。 2002年 - フレッドペリーは事業開始から幾多の変遷をへて、記念すべき50周年を迎える。 2005年 - 新進気鋭デザイナーとのコラボレーションプロジェクト【ブランクキャンバス】をスタート。 2004年 - コム デ ギャルソン・シャツとのコラボレーションラインがスタート。(〜2008) 2006年 - ポール・ウェラーとのコラボレーションをスタート 2007年 - ジェシカ・オグデンとのコラボレーションラインをスタート。 2008年 - ラフ・シモンズとのコラボレーションラインをスタート。 2009年 - フレデリック・ジョン・ペリー生誕100周年。
Collaboration Line / コラボレーションライン COMME des GARCONS SHIRT(コム デ ギャルソン・シャツ)
Collaboration Projects / コラボレーション・プロジェクト BLANK CANVAS / ブランク キャンバス ブランク・キャンバスとは、FRED PERRYのアイコン的アイテムを張り起てのキャンバスに見立て、様々なアーティストがFRED PERRYアイテムを自由に表現するコラボレーションプロジェクト。 参加アーティスト COMME des GARCONS SHIRT(コム デ ギャルソン・シャツ)04/SS-08/SS Fredrick John Perry(フレデリック・ジョン・ペリー)のヒストリー 1909年 - 5月18日 / FRED PERRY創設者フレデリック・ジョン・ペリーが、ストックボート(英国)にて誕生。 1929年 - テーブルテニス(卓球)の世界チャンピオンになるもすぐに引退し、ローンテニスを始める。 1933年 - 英国代表としてデビスカップで優勝。全米選手権初優勝。 1934年 - 全豪選手権初優勝。ウィンブルドン選手権初優勝。全米選手権2連覇。 1935年 - 全仏選手権初優勝。ウィンブルドン選手権2連覇。 1936年 - ウィンブルドン選手権3連覇。全米選手権3度目の優勝。 1939年 - 肘の骨折がきっかけでプロテニスプレーヤーを引退。 1975年 - 国際テニス殿堂入り。 1984年 - ウィンブルドンのサマセット・ロード入場口が【フレッドペリー・ロード】と改名され、フレデリック・ジョン・ペリーの銅像が設置される。 1995年 - 2月2日 / メルボルン(オーストラリア)にて享年85歳で死去。
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